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【アラベスク】  第1章 春の嵐



第3節 秦鏡 [1]




 女子生徒は、あからさまに眉をひそめる。剣呑(けんのん)な目つきで睨んでくる者もいる。そんな視線の中を大股で通り過ぎようとしたが、山脇(やまわき)の手がそれを止めた。
 振り向きざまに睨みつける美鶴(みつる)の腕に自分の腕をすばやく絡ませ、そのままグイッと引き寄せる。
 ――――!
 周囲から甲高い悲鳴があがる。美鶴は、呆気にとられて声も出ない。
 そんな中、一人山脇だけは涼しい顔。腕を組んだままゆっくりと歩き出す。
「ちょっ……」
 美鶴はただ引きずられる。
「ちょっと、山脇くんっ」
 慌てたように声をかける女子生徒に向かって、山脇はにっこりと笑った。
「今日はこれから用事があるんだ。またね」
 甘い瞳に微笑まれて、女子生徒は一瞬息を呑み、ホウッとため息とついた。
「用事ってなによっ!」
 ようやく声を出した美鶴に対して、山脇の視線は優しい。が、腕の力は強い。
「離してよっ、みっともないでしょう!」
「離したら逃げるだろ?」
「当然でしょうっ!」
 大声を出すのも恥ずかしいが、それでも思わず声を荒げてしまう。
「どういうつもりよっ」
「別に。ただ一緒に下校しようと思ってるだけ」
「冗談っ……」
 あまりに勢いよく吸い込んだため、胸に息苦しさを感じる。

 冗談じゃないっ

「なんで私がアンタと一緒に下校しなきゃならないのよっ」
 その言葉に、山脇はクスクスと笑った。
「今朝と同じこと言ってる」
「はぁ?」
「『なんで私がアンタと一緒に登校しなきゃならないのよっ』」
 美鶴の口調を真似たつもりだろうか? 少し高めの声は、明らかに楽しんでいる。
 カッと頭に血が上った。だが
「おい、あれって二組の転入生だろ?」
「隣にいるのって、大迫って女じゃない?」
「腕組んでるよ」
「うへぇ〜、あの女と腕組むなんて、オレはゴメンだ」
「ってか、なんで山脇くんがあの女と一緒にいるのよっ!」

 男も女も、みんなが二人に注目している。
 後頭部から背中にかけて、血の気が引いていくのを感じた。午後の日差しはそれほど強くはないはずなのに、なぜだか目の前がクラクラする。

 どうして、どうしてっ!

 美鶴は周囲が見れなかった。

 どうしてこんなことになるのだっ!

「いい加減にしてよ」
 声を震わせる美鶴に、山脇が目を細める。
「だって、君はまた襲われるかもしれないだろう? 家まで送るよ。君のお母さんにも頼まれてるんだ」
「なっ」
 あのバカっ!
 心の中で毒づいた。
 本当は思いっきり叫びたかったが、当然本人には聞こえるはずがない。
「ちょっと、お母さんにしゃべったワケ?」
 あれほど話すなと言ったのにっ!
「別に、クスリの事は話してないよ。ただ変質者みたいな男に絡まれたって話はしたけどね。だって、そうでもなけりゃ、僕達があの家にいる理由を説明できないだろう?」
 山脇は、クスリというところだけ少し声を潜めた。
 確かに、山脇と聡の二人があの家にいた事自体、普通ではない。
「君が絡まれたって話をしたら、おばさんも心配してたよ。僕が一緒に帰るって言ったら、是非そうしてくれって言われた」
「いつよっ」
「絡まれたって話をしたのは、君が寝てすぐ。送ってくって話は今朝。君は先に家を出ちゃってたから、聞いてなかったんだね」
「聞いてないわよ。とにかく腕を放してよ。それに、今から家になんて帰らない」
「あの駅舎に行くの? やめた方がいい」
「どうしてよ?」
「しばらくは寄り道なんてしない方がいいよ。何があるかわからない。どうしてもって言うならついてくけど」
 あの駅舎に山脇と二人で数時間を過ごすのかと思うと、美鶴はゾッとした。
 絶え間なく声をかけ、美鶴の神聖な一時(ひととき)を犯してくるかもしれない。ひょとしたら思い出したくもない過去の出来事をひっぱりだしてきて、美鶴を苛立たせるかもしれない。
 美鶴の邪魔をしないよう静かにしていたとしても、その存在を、視線を感じながらなど、美鶴は一分と我慢できない。

 この少年の視線は、優しくとも力がある。

「心配してくれてありがとう」
 嫌味な口調で眉をあげる。
「じゃあ忠告通りにまっすぐ家に帰ります。だから腕を放して」
「逃げたりしない?」
「逃げないわよ」
 ウソだ。放した途端にダッシュしてやる。
 すると山脇は、突然足を止めた。
 びっくりして見上げると、山脇の顔がすぐ目の前にある。
「っ!」
 顔を覗き込まれた事にも驚いたが、その表情が妙に真剣で、思わず体を強張らせる。その口元に笑みはなく、瞳もやや暗く、だが力強くまっすぐに見つめてくる。
「本当に?」
「は?」
「本当に? 一緒に家まで帰ってくれる?」
 ………
 揺ぎ無い瞳にまっすぐ見つめられ、美鶴は気まずくなった。
 ………

 気にすることはない。

 嘘をついてコイツが傷つこうが、私には関係ない。
「逃げたりしない?」
「…… う ……うん」
 小さく頷くのを見て、山脇は腕を解いた。
 逃げろっ! 私には関係ないっ

 私には―――

 ………

 駆け出すことが、できなかった。

 山脇が怖いのか? もしウソをついて逃げ出して、後から山脇に責められるのが怖いのか?
 違う。そんなんじゃない。こんなヤツに何を言われようと、私は構わない。
 じゃあ、山脇に気を使っているのか? 真剣に自分を心配してくれている人に対して、ウソをついて逃げ出すのは失礼だと?
 違う!
 だいたい、コイツが私のことを本気で心配してるかどうかもわからないじゃない!

 じゃあなぜ、一緒にいる?

 駅で切符を買う山脇の後ろで、ぼんやりとその背を見つめる。
 山脇の容姿に惹かれているのか?
 違うっ! 私は誰かに惹かれたりなんてしないっ!
 改札を抜け電車に乗っている間も、自問自答していた。駅のホームでも車内でも視線を感じた。だがそれよりも、自分自身が気になった。

 どうして自分は、山脇と一緒にいるのだろうか?







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